マイ・ブルーベリー・ナイツ(My Blueberry Nights)

公開:2007年/監督:ウォン・カーウァイ王家衛

一つ一つが写真のような映像美。そんな美しい映画。

ジェレミーがかっこいい。

エリザベスの心理描写をあまり描いていないせいで、重苦しい話にはならなかった。途中で出会う人々は結果的にとても辛い結末で終わるけど、映像によって「重さ」が演出されているだけで登場人物の言葉が少ないので重すぎたりしない。

結局彼女もジェレミーも元恋人を引きずってたんだなあ、と思う。元カノ(カティア)が来て最後に「さようなら」とキスをするシーン。「扉が開いたところで求めている人はいないし、鍵があったところで開けない扉もある」と言われて本格的に振られたジェレミーは、ここで完全に吹っ切れたんだろうなあ。引きずっていたからじゃなく、吹っ切れてエリザベスを好きになりつつあったからこそ、元カノとキスが出来たのかも。

もう全ては大切な思い出で愛していたこともそれを失ったこともよ~く理解しているからこそ、過去とは決別出来たからこそ、元カノとキスをして終わらせる。彼らのキスは、私達の物語は本当に終わったんだという確認と「愛していた者に対する最後のお別れ」・・・そんな感じがしました。

エリザベスが普通の女性なのもよかった。ただ、ジャケットにもなっているあのキスシーンは画にこだわりすぎた感じはあるかも。

エリザベス以外の女性が振り回す系の女の人ばかりなので、彼女がピュアで真面目な女性だということがわかる。 冒頭で 「何事にも理由はある」と言っていたし、別れてから不眠症になったところを見ると尚更そう思える。

ジェレミーは要領いいタイプだな、絶対。

カティアは可愛すぎだろ。ジェレミーの必死さと考え方が好きだし、映画そのものの雰囲気が良かったし、バック・グラウンド・ムービーとして流したい映画だと思いました。

私と元カレとの関係がスー・リンとアーニーの関係に似ていたので気持ちがわかる。別れた今、なんで別れたんだろうと思っていたけど当時は窮屈で仕方なかった。

レスリーは破天荒だったなあ。感情的な馬鹿!と思いつつ、あれだけカジノで勝って嘘をついているからにはずる賢いんだろうな。エリザベスは「人は自分を知るための鏡だ」って言ってたけど、彼女の出会ってきた女性はみんな彼女とは正反対の女性だった。

鏡は自分を写す。正反対の自分を。

そうなると色気ムンムンのスー・リン、嘘を吐いたり他人を平気で騙すレスリー、自滅的でアルコール中毒のアーニー。彼らはみんな彼女とは正反対だった。質素で堅実なエリザベス、正直なエリザベス、変わりたいって健気なエリザベス。

主人公が自分の良さをもう一度みつめて他人の恋愛物語に触れることで成長出来たと思うと、幸せになって欲しい思った。

映像と音楽はすごく良かったけど、ストーリー性は少し欠けていてもう少し重みが欲しかったかもしれない。全体的にセリフが少ないせいもあってか、物足りない気持ちだった。私は好きな映画なので映画としては評価★3かな?

個人的には★4といったところでしょうか。

イギリス人のジュード・ロウがイギリス人役、ハーバード大学を現役卒業した才女ナタリー・ポートマンがカジノの切れ者ノラ・ジョーンズは真面目系女子。配役が面白い。レイチェル・ワイズもイギリス人らしい。

最後にナタリー・ポートマンは本当に演技がうまい。ファミレスでお父さんの電話の話をするシーンの悔しそうな顔が個人的に好きでした。

この世の摂理っていうやつ?

最近は人間関係で苦労することが少なくなった。といっても、前よりも減っただけで実際は悩んでばかりいるんだけど。人がいっぱいいるこの場所で、自分と他人との関係性について考えてる。

多分、ちゃんとしっかりしていれば、何か言われることはない。いや、ちゃんとしてても言われる時は何か言われてしまうのかもしれないけど、それを最小限に抑えることは出来るんだ。

他人は自分の鏡とはよく言うけども、自分が笑顔なら相手も笑顔になれるし、ちゃんと挨拶をすれば挨拶を返してくれる。自分がしっかりしていれば、自分がありのままを受け入れれば、相手も返してくれる。それをここで学べたような気がする。

学生の時にうまくいかなかったのは、基本が出来ていなかったからだ。

「しっかりと行く」「挨拶をする」「にこやかにする」「清潔感を漂わせる」

そしていわゆる皆とある程度歩幅を合わせることも大事だ。例えば流行を追うとか、お洒落をするとか。そういうことによって、相手も興味を持ってくれる。学校にまともに通っていなかったから、どんどん周りとの差が出来ていってしまった。だから、うまくいかなかったんだ。

ここで学べたこととして、リア充は恋愛にも積極的。恋愛でくだらないもつれをする人はその人物がどうであれ、軽蔑される。男ならまだネタで終わらせられるかもしれないけど、女だと死ぬほど言われる。壁を作らないことが大事。偏見もいいところ。そして「人との距離を感じつつ」「自分も他人に興味を持ってもらえるような人でいる」「他人が友達になって恥ずかしくない人でいる」こと。

でも、一番大事なことは:「自分からも歩み寄る

その為には自分に自信を持つことが大事。まだ私も始まったばかりで、八方美人な態度をしてしまうけど、他人に対する偏見というものがただの思い込みである場合はすごく多い。自分の目を信じるのはまだ早い。今まで性格が悪そうで敬遠していた人の方が礼儀もしっかりしてたり、積極的で人として魅力的だったりするんだな。

日々、精進していきたいね。

そして、私は最後の煙草に火をつけた

彼との思い出が頭をよぎる。二人で撮った写真を見ると「何故こうなってしまったのか?」それだけを考える。
なかなかうまくいってると思ってた。最初のうちは。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶとはよく言うけど、私と彼はまさにそうだった。私はいわゆる恋多き女だった。彼は正反対で、どんなことも下調べを欠かさない、慎重な人間だった。
付き合うまで貞操を守っていたような男。全く違う人間だからこそ、惹かれ合う。補い合い、反発し合う。恋愛は面白くて切ないものだとしみじみ思う。
付き合うことも別れることも全て決まっていたのかもしれない。

だけど今、少なからずの寂しさと執着心の間で、いづれこうなるんだった、と。こうなるべきであり、これが正しかったと確信している。

それだけが私にとって唯一の慰めだった。

日常に隠れた嘘

片思いで本気で好きだって言うのは嘘だと思う。

よく漫画とかで長い間片思いしてる人がいるけど、それって自分の作り上げた理想が好きなんだと思うんだよね。多かれ少なかれ、どこかで理想化してる部分があると思うんだ。 現実の相手よりも、自分の作り上げた理想が大事だから、相手に告白出来ないんだよ。

結婚にしろ付き合うにしろスタートラインであって、ゴールじゃない。

お互いをしっかり知る為の入口であって、辛さから抜け出せる出口じゃない。

そのスタートラインに入って互いの現実を許せるか許せないかだと思うよ。 だからスタートラインに入る前にうだうだしているのはおかしい。現実を見る前に勝手に作り上げた理想を好きだと思い込んでるだけ。ある意味「告白を受け入れてくれるだろう相手」も、「告白を拒否するだろう相手」も、自分で作り上げた幻想(理想)だと思う。 私は付き合ったことはあっても結婚したことはないので結婚については既婚者の方の意見を取り入れるべきだな。

惚れた方が弱いってよく言うけど、私の経験上、自分によく尽くしてくれる人間っていうのはたいてい自分から話しかけた相手だった。自分が有利でいたい気持ちもわかる。私もそうだし。でもどちらか片一方が無理をする関係はどこかでアンバランスになり始める。 表向き尽くしたり、尽くされたりしているなら何かでそれを返していかないといけないんだ。

そして誰かが言っていたように、誠実な者同士がくっついた試しがない。 大抵浮気者は誠実な人とくっつくし、誠実な人は浮気者とくっつく。ないものを補い合うように出来てるんだよ。 また、普通の人間関係は同じ物を持ったもの同士が同じ方向にむかって協力するものだと思ってる。サン=デグシュペリが言った言葉は恋愛の中での愛についてのものではなく、人と人との関係について、日常のいたるところにある人間関係のことだと考えた方がいい気がしてきた。

“Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.”
——愛は、お互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである。
by Antoine Saint-Exupéry

Tonight is the night!

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痛い思いをして死にたくない。
痛い思いをする程、価値のある人生じゃなかった。

さて、やるべき事も終わったし、生きますか。